幸せな花嫁
2007年 03月 25日
彼との6年間のお付き合いが実り、2007年3月25日(日)中国大連で結婚式を挙げました。
色んな事情があり、私の家族は参加しませんでしたが、彼のご両親や親戚、友達はもちろん、私の親戚のおばさんたちや、いとこ家族、大好きな友達たちに囲まれて、幸せな花嫁になることができました。
お忙しい中、お休みをとって中国まで来ていただいた方々、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとう。
これからは、ニュージーランドで二人の新生活を始めます。
遠くなってしまうけど、これからもみんなのこと忘れないよ。
ずーーーっとずーーーっと、これからもよろしくお願いします。
私の旦那様。
今まで、本当に色んなことがあって、一緒にいられない時期も、どうしようもない事情も全て受け入れてくれて、どうもありがとう。
夢に描いていた、この日を迎えられて本当に幸せです。
出会ったばかりの頃は、お互いの英語がつたなかったから、紙とペンをいつも持ち歩き、漢字を書いたり、絵を書いたりしたよね。
英語を話すのが面倒になった時期もあったし、文化の違いが原因でけんかもよくしました。
付き合って10ヶ月目、オークランド空港で別れの間際、大粒の涙を流したあなたを見たのは、後にも先にもこの時が最後でした。
私の決めた無期限帰国という選択が、これだけ彼を苦しめ、そしてどれ程私を思ってくれていたのかと、彼がどんな思いで私の決断を受け入れてくれたのかということに改めて気付き、後悔なのか分からない涙があふれました。
私が日本に帰っていた1年は、あなたの英語力がのびて、私の英語力は衰退していって、とっても悲しかったけど、いつも電話でちゃんと分かるまで話してくれて、聞いてくれてありがとう。
枕の下にあなたの写真と手紙を置いて、夢で会えますようにと、今思えば恥ずかしいこともしてました。
あなたのおばあさんが亡くなった時、落ち込んで電話をしてきたあなたに、どう言葉をかけてあげたらいいか分からなかった。あなたのつらい時にどうしてそばにいてあげられないんだろうって、私のほうが泣いてしまったよね。ごめんね。
1年ぶりにオークランド空港で会えたときの感動は今でも忘れません。
あの時、2003年初めは世界情勢が絡み(イラク戦争・サーズetc)、父親の入院も重なり、決心をつけて仕事も辞め、家族の反対を押し切ってようやく予約した飛行機も延長せざるをえなかった。
いつ会えるのかが、また分からなくなってしまった。
その事を伝えた電話で、お互いどこに怒りをぶつけていいのか分からず、あの時ほど叫び泣いた事はありませんでした。
再会後、私は働けるビザもなかったし、お金がなかったから大変だったけど、私の誕生日には《バースデーの人には食事無料》のデニーズに行って、久しぶりの外食をした事も忘れられない思い出の一つです。あの時のビンボー生活も中々楽しかったな。一緒にいられるだけで幸せだったな。
ニュージーランドの永住権を取りたいがために、色んな手段で大金を支払って獲得する人々も多い中で、彼は正規の道を辿って、短期間で、私の永住権まで取ってくれました。
あなたはすごい人です。
あなたは働きづめで、ニュージーランドに来るにあたってご両親や兄弟から借りたお金を、きちんと返し終わりましたね。本当に尊敬します。
私の父のことでは、あなたや家族にとても申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、あなたの努力や誠意を、今は父も分かってくれたと思います。
もう少し時間はかかると思うけど、父と一緒にNZでゴルフや乗馬ができたらいいね。
私はあなたに出会ってからの6年間、常に迷ってばかりだったけど、もう迷わないよ。
何があっても一緒にいるよ。何があってもついていくよ。
その為には、私ももう少し強くならなきゃね。
あなたを支えていけるように、がんばるからね。
これからの人生、よろしくお願いします。
※これにてブログは終了します。
今まで読んでくれた方々、どうもありがとうございました。
色んな事情があり、私の家族は参加しませんでしたが、彼のご両親や親戚、友達はもちろん、私の親戚のおばさんたちや、いとこ家族、大好きな友達たちに囲まれて、幸せな花嫁になることができました。
お忙しい中、お休みをとって中国まで来ていただいた方々、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとう。
これからは、ニュージーランドで二人の新生活を始めます。
遠くなってしまうけど、これからもみんなのこと忘れないよ。
ずーーーっとずーーーっと、これからもよろしくお願いします。
私の旦那様。
今まで、本当に色んなことがあって、一緒にいられない時期も、どうしようもない事情も全て受け入れてくれて、どうもありがとう。
夢に描いていた、この日を迎えられて本当に幸せです。
出会ったばかりの頃は、お互いの英語がつたなかったから、紙とペンをいつも持ち歩き、漢字を書いたり、絵を書いたりしたよね。
英語を話すのが面倒になった時期もあったし、文化の違いが原因でけんかもよくしました。
付き合って10ヶ月目、オークランド空港で別れの間際、大粒の涙を流したあなたを見たのは、後にも先にもこの時が最後でした。
私の決めた無期限帰国という選択が、これだけ彼を苦しめ、そしてどれ程私を思ってくれていたのかと、彼がどんな思いで私の決断を受け入れてくれたのかということに改めて気付き、後悔なのか分からない涙があふれました。
私が日本に帰っていた1年は、あなたの英語力がのびて、私の英語力は衰退していって、とっても悲しかったけど、いつも電話でちゃんと分かるまで話してくれて、聞いてくれてありがとう。
枕の下にあなたの写真と手紙を置いて、夢で会えますようにと、今思えば恥ずかしいこともしてました。
あなたのおばあさんが亡くなった時、落ち込んで電話をしてきたあなたに、どう言葉をかけてあげたらいいか分からなかった。あなたのつらい時にどうしてそばにいてあげられないんだろうって、私のほうが泣いてしまったよね。ごめんね。
1年ぶりにオークランド空港で会えたときの感動は今でも忘れません。
あの時、2003年初めは世界情勢が絡み(イラク戦争・サーズetc)、父親の入院も重なり、決心をつけて仕事も辞め、家族の反対を押し切ってようやく予約した飛行機も延長せざるをえなかった。
いつ会えるのかが、また分からなくなってしまった。
その事を伝えた電話で、お互いどこに怒りをぶつけていいのか分からず、あの時ほど叫び泣いた事はありませんでした。
再会後、私は働けるビザもなかったし、お金がなかったから大変だったけど、私の誕生日には《バースデーの人には食事無料》のデニーズに行って、久しぶりの外食をした事も忘れられない思い出の一つです。あの時のビンボー生活も中々楽しかったな。一緒にいられるだけで幸せだったな。
ニュージーランドの永住権を取りたいがために、色んな手段で大金を支払って獲得する人々も多い中で、彼は正規の道を辿って、短期間で、私の永住権まで取ってくれました。
あなたはすごい人です。
あなたは働きづめで、ニュージーランドに来るにあたってご両親や兄弟から借りたお金を、きちんと返し終わりましたね。本当に尊敬します。
私の父のことでは、あなたや家族にとても申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、あなたの努力や誠意を、今は父も分かってくれたと思います。
もう少し時間はかかると思うけど、父と一緒にNZでゴルフや乗馬ができたらいいね。
私はあなたに出会ってからの6年間、常に迷ってばかりだったけど、もう迷わないよ。
何があっても一緒にいるよ。何があってもついていくよ。
その為には、私ももう少し強くならなきゃね。
あなたを支えていけるように、がんばるからね。
これからの人生、よろしくお願いします。
※これにてブログは終了します。
今まで読んでくれた方々、どうもありがとうございました。
by louiloui3
| 2007-03-25 07:00
| 結婚について