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ニュージーランドから、彼の故郷大連へ移住。只今、必死に中国語勉強中です。海外暮らしばかりが続いてますが、彼と幸せになる為にがんばってます。


by louiloui3
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幸せな花嫁

彼との6年間のお付き合いが実り、2007年3月25日(日)中国大連で結婚式を挙げました。

幸せな花嫁_f0104735_21491224.jpg


色んな事情があり、私の家族は参加しませんでしたが、彼のご両親や親戚、友達はもちろん、私の親戚のおばさんたちや、いとこ家族、大好きな友達たちに囲まれて、幸せな花嫁になることができました。

お忙しい中、お休みをとって中国まで来ていただいた方々、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとう。
これからは、ニュージーランドで二人の新生活を始めます。
遠くなってしまうけど、これからもみんなのこと忘れないよ。
ずーーーっとずーーーっと、これからもよろしくお願いします。


私の旦那様。
今まで、本当に色んなことがあって、一緒にいられない時期も、どうしようもない事情も全て受け入れてくれて、どうもありがとう。
夢に描いていた、この日を迎えられて本当に幸せです。

出会ったばかりの頃は、お互いの英語がつたなかったから、紙とペンをいつも持ち歩き、漢字を書いたり、絵を書いたりしたよね。
英語を話すのが面倒になった時期もあったし、文化の違いが原因でけんかもよくしました。

付き合って10ヶ月目、オークランド空港で別れの間際、大粒の涙を流したあなたを見たのは、後にも先にもこの時が最後でした。
私の決めた無期限帰国という選択が、これだけ彼を苦しめ、そしてどれ程私を思ってくれていたのかと、彼がどんな思いで私の決断を受け入れてくれたのかということに改めて気付き、後悔なのか分からない涙があふれました。

私が日本に帰っていた1年は、あなたの英語力がのびて、私の英語力は衰退していって、とっても悲しかったけど、いつも電話でちゃんと分かるまで話してくれて、聞いてくれてありがとう。
枕の下にあなたの写真と手紙を置いて、夢で会えますようにと、今思えば恥ずかしいこともしてました。
あなたのおばあさんが亡くなった時、落ち込んで電話をしてきたあなたに、どう言葉をかけてあげたらいいか分からなかった。あなたのつらい時にどうしてそばにいてあげられないんだろうって、私のほうが泣いてしまったよね。ごめんね。

1年ぶりにオークランド空港で会えたときの感動は今でも忘れません。
あの時、2003年初めは世界情勢が絡み(イラク戦争・サーズetc)、父親の入院も重なり、決心をつけて仕事も辞め、家族の反対を押し切ってようやく予約した飛行機も延長せざるをえなかった。
いつ会えるのかが、また分からなくなってしまった。
その事を伝えた電話で、お互いどこに怒りをぶつけていいのか分からず、あの時ほど叫び泣いた事はありませんでした。

再会後、私は働けるビザもなかったし、お金がなかったから大変だったけど、私の誕生日には《バースデーの人には食事無料》のデニーズに行って、久しぶりの外食をした事も忘れられない思い出の一つです。あの時のビンボー生活も中々楽しかったな。一緒にいられるだけで幸せだったな。

ニュージーランドの永住権を取りたいがために、色んな手段で大金を支払って獲得する人々も多い中で、彼は正規の道を辿って、短期間で、私の永住権まで取ってくれました。
あなたはすごい人です。
あなたは働きづめで、ニュージーランドに来るにあたってご両親や兄弟から借りたお金を、きちんと返し終わりましたね。本当に尊敬します。

私の父のことでは、あなたや家族にとても申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど、あなたの努力や誠意を、今は父も分かってくれたと思います。
もう少し時間はかかると思うけど、父と一緒にNZでゴルフや乗馬ができたらいいね。

私はあなたに出会ってからの6年間、常に迷ってばかりだったけど、もう迷わないよ。
何があっても一緒にいるよ。何があってもついていくよ。
その為には、私ももう少し強くならなきゃね。
あなたを支えていけるように、がんばるからね。

これからの人生、よろしくお願いします。


※これにてブログは終了します。
 今まで読んでくれた方々、どうもありがとうございました。
 
# by louiloui3 | 2007-03-25 07:00 | 結婚について

父親へ挨拶

久々の更新。
今日は彼が私の父に挨拶に来た日のことを、思い出しながら書きます。

前日から、「学校へ○○!」のマナー猫でやっていた「彼女の親に挨拶に行くときのマナー」のビデオを繰り返しみて、言葉を考え暗記。
一日中家の中をウロウロ。落ち着きがありませんでした。

練習で何度も真剣な表情でおもしろい間違えをする彼。笑いたくてもその真剣なまなざしに思いっきり笑うことができず、残念。
一番いいところ、クライマックスで

   「○○を絶対幸せにするので、○○さんと結婚して下さい!」・・・・(爆笑)

当日。雨の降る中実家まで行き、エレベーターを降りてから「ちょちょっと待って」と深呼吸。家のドアを目の前に「ちょちょっと待って」と深呼吸。
私も緊張です。こんなに緊張することは今までになかったと、もう一度セリフを口ずさみ、いざ「ピンポーン」

父はこころよく迎えてくれました。
彼にとっての私の父は、この5年間ずっと怖いイメージだったので、ちょっと安堵の表情が・・・・。
さて、ここからが本番。私がお茶を入れて、予行練習通りスタートです。

「本日はお忙しいところ・・・・」   完璧。超完璧。
練習の中で一番ベストだった。

父は涙をうかべて、「よろしくお願いします」と彼とかたい握手を交わしてくれました。
その光景に、私も涙。
長かったこの3人の気まずい関係が今、解き放たれました。
よかった・・・・(涙)

それから1時間程、結婚式の話や、今後の問題点などを話して、(色々あるのです)今回は「緊張して疲れたんじゃない?」という父の彼に対する気遣いもあり、また近いうちに会うことになって、解散しました。

終わってから二人でガストで一休み。
彼はなーんにも覚えてないと繰り返していました。
「どうだった?」「大丈夫だった?」「今、一言も言ったことが思い出せない」と、少々興奮気味でした。

彼へ。今日はどうもありがとう。父に言った言葉を忘れずに、
             私を大切にすること!よろしくね~
# by louiloui3 | 2006-11-11 12:05 | 結婚について

彼来日!

待ちに待った、彼の日本来日。
何度か旅行には来た事はあったけど、一緒に住むのは初めて。
準備万端! 成田へ迎えに行きました。
何ヶ月ぶりかな?その間も日本生活について、色々問題点があったりして
けんかもしたけど、やっぱり会える日はうれしいもの。

準備は色々大変だった~
家、家具、日本語学校、など。
でも家、家具、引越しを、NZで出会った私と彼の友達ekが
かなり手伝ってくれて、家まで格安で貸してくれたこともあり、
順調に物事すすみました。本当に感謝です。
# by louiloui3 | 2006-10-28 12:34

結婚が認められた日

国際結婚。
日本人にとってあまりイメージの良くない中国人。(なんで??)
やはり、うちの父はずーーーーっと結婚・・・というか、付き合いを認めてくれませんでした。2年前に彼が日本に来たとき、父は彼に会ってくれませんでした。
私は同じ時期、やはり中国に行っていて、彼のご両親に初対面。とてもウェルカムに迎えてくれて、15日間実家にお世話になってしまったくらい。そのことを思うと、彼と彼のご両親に申し訳なくて仕方なかった。

時は流れてつい最近、私が中国から帰ってきた日も色々彼のことを、彼の家族、彼の努力、私たちの絆の強さを話しましたが、受け入れてくれませんでした。

私 「今年末、彼が日本にきて、挨拶に来ますから。」

父 「連れて来くるな。」

それ以降、私もさすがに頭に来てほぼ父と話をしませんでした。もうnzに戻って、彼と二人で暮らそうと思ってました。

なのに突然8月17日、父が認めてくれた!!
涙が出るほどうれしくて(ガンガン泣いてたけど・・・)、彼にすぐに報告しました。

私 「今日まで、あなたと家族を傷つけてきてごめんなさい。」

彼 「5年間、お父さんを説得してくれてどうもありがとう。僕のせいで色々つらい思いをさせてきてごめんね。」


・・・・そして大忙しの結婚式準備がいよいよ始まるのでした・・・・
# by louiloui3 | 2006-08-17 20:50 | 結婚について

中国最後の日

忘れないうちにしたためておきます。

帰国の前日、彼と一緒に例の高級サウナへ行きました。
アカスリ、足裏マッサージをしてもらって極楽気分。
二人で行ったのは初めて。なぜなら女風呂では私一人で中国語で話さなくてはいけないから。でも今回はかなり余裕でアカスリとかしてもらうことができました。

いやぁ私の中国語もちゃんと成長してたんだって実感できて良かった☆

その後、夜ご飯は私が彼の家族を招待しました。
もちろん中国料理、個室を予約して、ありがとうという気持ちで盛大にやりました。

食事が終わってお姉ちゃん家族が帰るとき、ハグをしたら涙が止まりませんでした。お姉ちゃんは何だかんだ、一番私のことを気にしてくれて、色んな所に連れて行ってくれたり、色んな物をもらったり、一番「友達」にちかい存在だったので、離れる時は号泣・・・


それから彼と最後のデート。シャングリラホテルのバーでアメリカンバンドを聞きながら、今回の私たちの挑戦、中国での暮らしについて色々と話し合いました。

「実はこういう風に感じていた」ということを、お互い素直に言い合えて、「次はこういう風にしよう。」とか「こういう事はもう辞めよう。」などなど、今までの中国の暮らしの中で、多少なりとも常に緊張していたようなところがあったので、ここで初めて心から安心することができて、やっぱり号泣。(笑)


バーを出たのは午前1時を過ぎていました。最後に星海広場(中国で最大の広場)へ散歩がてらドライブをして大連最後の夜は終わるはずだった。が、そこで出くわしたものは!

その広場で何やら警察官とヨーロピアン風な外国人数人が、トラブっていた。それを彼は放って置くことができませんでした。しばらく立ち止まって耳を傾けた後、あぁ言葉が通じてないと思った彼は、すかさず通訳に入ったのでした。

どうやら外国人グループ5名(ロシアの方々でした)、タクシーの中でデジカメを置き忘れたと、警察に言いたかったらしい。
けど通じなくてお互いオロオロしていたのです。彼女達は明日帰国のようで、とにかく早く探してくれとあせってました。

私の彼はずっと彼女らについて、警察署まで一緒に行って盗難届け?など書類の書き方から、中国生活についての注意事項など、何から何まで通訳して、結局1時間強かかってしまった。

最後、彼女達はありがとう連発、どうやってお返しすればいいか、お金を払いますとか、相当感謝されてしまいました。

そして私はロシアの方々にはじめて口を開き、「実は私も外国人。だからあなたたちの気持ちが良く分かるんです。困った時はお互い様だから気にしないで」といいました。
警察官からも大感謝されました!

彼は私に、最後の日なのにごめんねって謝ってましたが、困っている人を放っておけない彼の優しさを改めて知り、幸せな気持ちになっていました。(^^;)ノロケ・・・?

さていよいよ帰国。朝6時起床。(3時間も寝れなかったが) そしてそこには!? お母さんが台所にたって、餃子を作っているではありませんか!!お母さんならではの優しさを最後にかみしめながら4つほど食べて、ごちそうさま。

もちろんご両親そろって車までお見送り。お母さんも私も大号泣。最後お母さんは私に「疲れたわね、本当お疲れ様」なんて言ってくれて、いやいや疲れたのはお母さんの方でしょうってつっこみたくなった。本当に優しい彼の家族。どうもありがとうございました。絶対また来ます!

でももう餃子はいいや・・・・・(ゲップ)

そして私は日本で彼を待っています☆ また遠距離だ(笑)
# by louiloui3 | 2006-07-18 12:16 | 中国生活